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Bright Star ブライト・スター/いちばん美しい恋の詩

イギリス映画 (2009)

19世紀初頭のイギリスの詩人ジョン・キーツとその婚約者ファニー・ブローンとの美しくも悲しいストーリーを、歴史に忠実に再現した恋愛映画。トーマス・サングスター(Thomas Sangster)は、ファニーの14歳の弟役で出ているが、これほど「差別的」な取り扱いは見たことがない。映画は、確かに美しく、人々の感情をクローズアップした表情で捉えている。しかし、全登場人物の中で、クローズアップしてもらえなかった俳優が1人だけいる。それがトーマスだ。主人公の弟役なので、かなり重要なのだが、常に「背景」の一部として描写され、①全景でしか映らない、②他の人物にピントが合っているかで、リストに用いる顔の大写しは全編を通じて1回しかない。キャスティングが決まってから、監督と何かあったのだろうか? 9歳の妹のトゥーツは出番も多く、クローズアップも多いのに、観ていて違和感がある。そこで、あらすじの作成にあたっては、https://englishhistory.net/keats/life/などのキーツの伝記サイトの記述を参考にして、年月日を記載した上で、そこで何が起きたかを、台詞を含めずに紹介することにした。また、全編中にちりばめられた詩や手紙は、それぞれの出典を明示することにした。最後に、この映画の原題『Bright Star〔輝く星〕』は、1819年4月3日、ブローンの一家がキーツの隣(2戸で1つの建物)に引っ越して来た時にファニーに捧げた有名な詩だが、映画では、1819年10月19日に密かに婚約した後、2人で交わす詩として使われている(キーツの死を知った、映画のエンディングでも全文が詠まれる)。下の写真は、手書きの原稿。
  

それまで裁縫にしか興味のなかった18歳のファニーは、母の知り合いの家族を訪ねた時、同じ家の隣に住むブラウンの所に短期滞在していたキーツと出会い、それまで会ったことのない詩人というものに興味を惹かれる。そして、本を買い求めて読むうち、理解はできないが、何か心打たれるものを感じる。キーツも、そんな彼女に惹かれていく。事が大きく進展するのは、長年結核で苦しんできたキーツの末の弟が死んだこと。キーツは、それをきっかけとして、ブラウンと一緒に住むことになる。そして、偶然ながら、ブラウンの隣に住んでいて、ファニーの一家と親しかった家族がロンドンに引っ越すことになり、そこにファニーたちが移ってくる。これは映画の脚本ではなく、歴史的にあったことなので、まさに嘘のような偶然、僥倖だ。隣同士になったファニーとキーツは、折りに触れて会い、親密さを増して行く。経済的に危機に瀕していたキーツは〔当時は、下層階級出身の若い詩人が生活していくのは大変なことだった〕、夏の間、ワイト島に行き、創作に集中することになるが、その間も、2人の文通は続く。キーツは、そのままロンドンに行き、なかなかファニーは会えないが、手紙のやり取りだけで親密度を増した2人は、内密に婚約を交わすに至る。しかし、幸せなのは、そこまでだった。冬になり、無理をして風邪を引いたキーツは、はげしい喀血を起こす。死んだ弟に寄り添って看病していたため結核に感染していたのが、劣悪な生活環境によって急速に悪化したのだ。キーツは、ブラウンの家で静養し、ファニーとの間では熱烈な恋文のやり取りが続く。しかし、健康は好転せず、次の冬はイギリスでは越せないという医者の指示で、イタリアへの転地が友人の間で決まり、資金集めが始まる。その夏、ブラウンが家を貸したことから、キーチは劣悪な仮宿で暮らが、お陰で結核が悪化する。そして、9月にイタリアに向け船で出発、11月にローマに付き、翌年2月に死亡する。

トーマス・サングスターは出演時17歳。特徴ある顔は、ティーンになってもあまり変わらない。ファニーの弟サムや妹マーガレットのことは、ほとんど何も分かっていないので、どのようにでも役つくりができたはずだ。それなのに、トーマスだけが、「無個性」の「ただそこにいるだけの弟」を演じさせられたことは、腑に落ちないし、これまで活躍してきた俳優に失礼だと思う。


あらすじ

1818年11月
ブローン(Brawne)の一家は、寡婦の母、長女ファニー、長男サミュエル、次女トゥーツの4人暮らしで、1818年にはロンドン郊外ハムステッドのダンウンシャー・ヒル(Downshire Hill)にあるエルム・コテージ(Elm Cottage)に住んでいた。そして、近く(直線距離で200メートル以内)にあるウェントワース・プレイス(Wentworth Place)と呼ばれるセミ・デタッチドハウス(二軒長屋)の片方に住むディルク(Dilke)家と親しく付き合っていた。それは、家のもう片方に住む独身のブラウン(Charles Armitage Brown、キーツの8歳年上)が夏の間、ブローン夫人に家を貸した時に知り合ったからである。この時期、キーツは弟のトム(Tom)の看病(末期の肺結核)にかかりきりだったが、時折友人のブラウンを訪ねていて、ディルク家を訪れたブローン家のファニーと出会う。映画では、エルム・コテージ(1枚目の写真、矢印)を出て行く一家が遠景で映される。周辺に洗濯物がいっぱい干してある光景からして、中流階級(ジェントルマン)の下の方のレベルであろう。2枚目の写真は、ウェントワース・プレイスの入口近くを歩くファニーとサミュエル。ファニーは裁縫が得意なので、それなりにきちんとした服装をしている。3枚目の写真は、ディルク家に入ったブローン一家。キスしているのは、ディルク家の主人とブローン夫人。先頭がサミュエル、2番目が妹のトゥーツ。ブラウンもさっそくやって来るが、ファニーのことを即物的な人間だと思っているブラウンを、ファニーは嫌っている。そして、キーツに初めて会う。このシーンでも、大半の登場人物はクローズアップされるが、サミュエルだけはこの写真が精一杯。単に、いるだけ。台詞もゼロ。因みに、歴史上、ブローン家のファニーは この時点で18歳、サム〔映画ではなぜかサミュエルになっている/サミュエルの愛称でサムになっているのではなく、本名がサム〕は14歳、マーガレット〔映画ではなぜかトゥーツになっている〕は9歳。ファニー役のアビー・コーニッシュは出演時恐らく25歳、トーマスは出演時17歳なので、映画の最後(2年半後)の年齢に近い。
  
  
  

1818年11月
キーツに初めて会ったファニーは、ヨレヨレの服装に戸惑うが、その知的なムードに興味を惹かれ、詩人とは何かを知ろうとして、弟とのサミュエルを本屋にやってキーツの本を買って来させる。1枚目の写真は、映画の中で唯一のサミュエルのクローズアップ。本屋に入り、「ジョン・キーツの詩の本はありますか? 『エン… エン…』」と訊く。「『エンディミオン』かね?」。「そう、『エンディミオン』」。「大して良くないと聞いてる。20冊入れたのに1冊も売れていない」。妹が近づいて、「お姉さんが作者に会ったの。自分で読んでみて、馬鹿かどうか見てみるんだって」と説明する。この場面でも、妹の方が個性が出ている。ところで、物を売る立場の人間が、商品の悪口を言うとは思えないが、脚本としては、どこかでこの詩の評判が悪いと言いたかったのであろう。実際、『エンディミオン(Endymion)』は、キーツの出版物の中で、最もこき下ろされた作品。書評を書いた「馬鹿者たち」の名前はウィキペディアにすら書かれていて、無能さの恥を今に曝している。2枚目の写真は、買ってきた本の包みを開く妹。その後、姉に頼まれ、妹が「Book I」の冒頭の部分を朗読する。少し聞いたファニーは、その言葉の響きが気に入り、自分で読み始める。
  
  

1818年11月
ハムステッドは、軍の兵営に近かったので、一年を通じて軍人とのダンス会が何度も催されたと書かれている。映画も、そのような当時の状況を反映している。そのことを知らないと、ハムステッドに大きな社交界があるように見え、貧弱なエルム・コテージと違和感があるが、相手が近くに居住する軍人なら十分にあり得る〔『高慢と偏見』のウィカムを思い起こさせる〕。その場にキーツがいるというのは、映画ならではの創作であろう。そこで会った2人は、キーツから弟トムの具合が悪いと知らされる。それは、次のシーンのために必要な伏線でもある。2枚目はサミュエルだが、一瞬映るだけで、存在感はゼロ。あまりに可哀想だ。
  
  

1818年11月
ファニーは、トムのお見舞いにと、お菓子の入った籠を用意し、弟と妹を連れてブラウンの家を訪れる(1枚目の写真、サミュエルの顔が見えるのはこの場面だけ。他は後姿のみ)。この時期、キーツは、まだブラウンの家に同居していなかったので、なぜここに来たのかは分からない〔映画では、如何にも同居しているように描かれている〕。ブラウンに馬鹿にされたファニーは怒って立ち去るが、悪いと思ったキーツは1人で後を追いかけ、一緒にトムの所に行こうと誘う(2枚目の写真)。トムのいたのは、ウェル・ウォーク(Well Walk)、ブラウンの家の北西600メートルほどにある鉱泉の町。病人には適した場所だ。しかし、そこは暗くて悪臭の漂う狭い部屋だった。トムの死は12月1日なので、11月にいろいろあったことを思うと、死の直前の状況だ。キーツに関する資料では、トムの看病にかかりきりだったため結核に伝染したとある。だから、映画のように、のんびりとブラウンと詩作の話などしている暇などはない。3枚目の写真は、悲惨な状況を見るファニーと、その前を通り過ぎるサミュエル。
  
  
  

1818年11月12月1日
ディルク家とブラウンが共同で友人たちのその夫人らを招いて食事と音楽を楽しんでいる。ただし、このような会があったという事実は見つけられなかった(『The Friend of Keats』、E.H.McCormick著)。そこでは、参加者全員で合唱する場面がある(1枚目の写真)。サミュエルの隣の少年(ディルク家の子供)はボーイソプラノで目立つが、サミュエルはただ立っているだけ。その後、場面はエルム・コテージに移り、フランス人の教師が3人にダンスを教えている(2枚目の写真)。そこに、ディルク夫人がやってきて、トムの死を知らせる。だから、この場面が1818年12月1日だと確定する。それを知ったファニーは、レッスンを中断し、部屋に籠ってトムのために枕カバー〔棺に入れる〕を作り始める。
  
  

1818年12月中旬/12月25日12月末?
資料によれば、1818年12月中旬、キーツは、ブラウンのいるウェントワース・プレイスに移ることを決断する。そして、部屋代として月5ポンド払うことも。英ポンドの価値のcalculatorによると、1818年の1ポンドは、2017年の79ポンド〔約1.2万円〕と表示されるので、これを信じると月6万円となる。キーツは極貧で一銭もない時もあれば、少しはお金のある時もあると書かれているので、この時は、かなり良かった方であろう。映画を観ていると、ブラウンが丸がかえでキーツにタダで住まわせているように誤解させられるが、最初に同居する際にはちゃんと分担していた。映画では、ファニーの提案で、クリスマスのディナーにキーツがエルム・コテージを訪れるが、これは歴史的にも事実。ディナーの前に、ファニーが、キーツに「私に詩を教えて」と頼むが、これはその後の展開への伏線。キーツは食卓でひょうきんなところを見せる。ミルク・ティーの楽しい飲み方を教え(1枚目の写真)、暖炉の前で踊ってみせる。サミュエルは、銅鍋の底を叩いて伴奏(?)(2枚目の写真)。その後、妹が短い詩の披露を所望。その時、キーツが暗唱するのが、その年作った『恐れのとき(When I have Fears that I may Cease to Be)』。その翌日か、遅くとも数日以内に、ファニーは雪の降る日にブラウン+キーツの家に、「詩を習いに」行く。ブラウンは共同で使っている居間を、さんざ嫌味を言ってから出て行く。ファニーは、詩も、刺繍と同じで、習得できる「技術」だと思い込んでいるが、キーツは、詩とは自然に生まれてくるものなので、教えることなどできないと断る。詩の鑑賞法でも教えればよかったのだろうが、詩人にはそれも無理だろう。
  
  

1819年1月中旬?2月14日
資料によれば、キーツは、1月1日に2回目のディナー招待を受け、その時はディルクス家も一緒だったとか。ファニーが好きになり始めたのかもしれないが、映画では、二番煎じは避け、別の表現でファニーの熱心さを示している。ファニーは、キーツに読むよう渡された本を返しにブラウン+キーツの家を訪れる。その時、キーツ不在で、ブラウンは、ファニーが、チョーサー〔恐らく、『カンタベリー物語』〕、スペンサー〔『妖精の女王』か?〕、ミルトン〔『失楽園』〕、それに、『オデュッセイア』を読んだと聞き(1枚目の写真)、「1週間で、そんなに?」と驚く。もし、「詩を習い」に行った時から1週間後なら、1月3日前後になるが、キーツが家を離れてチチェスター(Chichester、プリマスの近く)に行くのは1月18日なので(2月になるまで戻らない)、訪問時期は中旬あたりであろう。会話の中で、『オデュッセイア』の感想を訊かれ、ファニーは、まだ読んでいる途中と答えるので、キーツに会いたくて早目に訪問したのかもしれない。「でも、キーツさんの書いたものは全部読んだわ」。そして、その証しとして暗唱するのが、『聖アグネス祭前夜(The Eve of St. Agnes)』のXXIII。しかし、これは、絶対に間違っている。なぜかと言うと、資料によればキーツは、1月26日にチチェスターで『The Eve of St. Agnes』を書いていて、4月になってもまだ原稿のままで出版はされていない。なのに、なぜ、渡された本の中に『The Eve of St. Agnes』があって、それをファニーが朗読できるのか? あら探しはしたくないが、真面目な伝記映画で、こうしたミスは許されない。その後で、ブラウンは『失楽園』の感想を求める。まるで、口頭試問のようだ。「ミルトンの韻は少し唐突だとは思わなかった?」〔ひっかけ問題、実は韻などない〕。「いいえ」。「全く?」。「あまり」。この点について、ブラウンは、後でキーツに会った時、ファニーはミルトンには韻がないことすら分からなかったと、無知さを嘲り、詩になど興味がなく、単に男をもて遊んでいるだけだと公然と非難する。この、ブラウンのファニーへの警戒心は、最初に紹介したサイトにも「But Brown was not happy about the relationship. He disliked Fanny, perhaps out of jealousy because she consumed much of Keats’s time and thought. Perhaps, too, he understood the depth of Keats’s feelings and Fanny’s casual, flirtatious attitude with other men (Brown included) indicated a far more shallow attachment on her part.」と書かれている。ブラウンの家を出てから、帰宅するファニーとサミュエル(2枚目の写真)。ファニーは、自分がブラウンを驚かし、キーツに対する関心が本気だと分かったと思うとサミュエルに話すが、実際は悪感情を増しただけだった。映画では、その後、2月14日にブラウンが意地悪くバレンタイン・カードをファニーに出し、その頃までには帰宅していたキーツがそのことを知り、ブラウンとファニーに食って掛かるシーンがある〔映画の創作〕
  
  

1819年4月3日の少し前
1819年4月3日、ディルクス家はウェントワース・プレイスを引き払ってロンドンに移る(所有権は残したまま)。そして、その後を、ブローン夫人が借りて住むことになる。これで、キーツとファニーは隣同士となる。一軒の家なので、庭は共有、家の前の野原も共有。会うチャンスはいくらでもある。1枚目の写真、引越しの直前、ファニーとサミュエルがブラウン+キーツの家を訪れるシーン(野原一面の花が美しい)。その時、キーツは、生活費を稼ぐため、ブラウンの書いている劇の手助けをしていた。その作業の途中、ファニーは桜の枝を手に持って扉に現れる。その後ろでボールを蹴りながら、サミュエルが、「僕たち、隣に住むんだ。ディルクス一家がウェストミンスターに引っ越すから、6ヶ月半額で借りられる。だから、一緒の家に住めて、フットボールもできるよ」とキーツに話しかける(2枚目の写真)。
  
  

1819年4月3日、もしくは、翌日その数日後?
引越しが終わり、恐らく、その直後、家の背後の野原でブラウンがキーツと劇の内容について打ち合わせをしていると、ボール遊びをしていたサミュエルとトゥーツが、キーツにもボールを投げ、キーツも一緒になって遊ぶ。仕事を邪魔されたブラウンは腹を立て、おまけに、トゥーツが誤ってブラウンの頭にボールをぶつける。怒ったブラウンは家に戻ってしまい、3人だけでボールの投げ合いが続く(1枚目の写真)。次のシーンでは、ブローン一家を前に、ブラウンがお説教をしている。「もし、キーツさんと私が、野原で散歩していたり、ソファでくつろいでいたり、壁をじっと見ていても、何もしていないと思ってもらっては困ります。何もしない… それが詩人の黙想なのです」(2枚目の写真)。ブラウンも、創作を邪魔されて、余程腹が立ったのであろう。これから毎日一緒に住むので、この際、徹底しておこうと思ったに違いない。次のシーンは、その数日後。家の庭で、キーツとファニーが裏庭中の花の匂いを嗅いでいる。それをブローン家の台所の窓から苦々しくブラウンが見ている(3枚目の写真)。
  
  
  

1819年5月?5月末~6月初
近くの公園の池で。多くの人がボートに乗って遊んでいる。時期としては5月頃であろう。2人で葦の茂みを散歩していたキーツとファニーは、池の端で最初のキスを交わす。次の、恐らく5月末と思われるシーンでは、夜、暖炉の前で、ブラウンが『The Eve of St. Agnes』のXXVIIを暗唱する。この頃には、出版はされていなくても、草稿はまとまっていたはずで、ブラウンはそれを見て覚えたのであろう。ブラウンは短い暗唱を終えると、「君は、僕の遥か先に行ってしまった」と脱帽する。「君の詩作は、僕の人生で最も素晴らしいものだ」とも。絶賛に近い。そして、その後で、ファニーへの恋について警鐘を鳴らす。キーツは、幸せだから詩が生まれると反論する。その後、キーツが庭の木に座り、詩を口ずさむシーンがある。『ナイチンゲールに寄す(Ode To A Nightingale)』だ。5月から6月初めにかけての作詩と見なされている。キーツは、創作に専念するため、6月の初めにワイト(Wight)島に発つ〔島から出している最初の手紙が6月11日なので、10日以前の出立、島を離れるのは8月23日〕
  

1819年7月初旬~末9月初め
キーツがいなくなってから、ファニーはイライラがつのる。待っても手紙が来ないので半病人のようになる。待望の手紙が届くのは、7月に入ってから。7月3日付けの手紙が初めて届き、すっかり元気になったファニーは、弟と妹を連れて公園に出かける(1枚目の写真)。美しい映像のバックには、キーツの声で、手紙に綴られた愛の言葉が流れる(2枚目の写真)。キーツの手紙を受けてファニーがしたためる手紙は、詩情のかけらもない普通の文章。そこでは、弟と妹が蝶を獲っていることが書かれている(3枚目の写真)。この蝶は、ファニーの部屋中を飛び回ることになる。映像のバックには、7月8日付け7月25日付けの手紙の言葉が、区別されずに〔順序が逆〕流される。資料によれば、キーツは8月23日にワイト島を離れ、ウィンチェスター(Winchester)に向かう。夏が終わり、ブローン夫人は新しい女中アビゲイルを雇う〔翌年10月にブラウンの子供を出産〕。女中をブラウンに紹介するために連れて行ったファニーは、彼から、キーツがロンドンに住むことになったと伝えられる。
  
  
  

1819年10月10日10月19日10月末?
キーツは、その後ずっとロンドンに1人で暮らしていたが、私物を取りに10月10日に戻って来る。キーツはすぐにロンドンに戻るが、戻ってからすぐに出した10月11月付け10月13日付けの手紙の言葉をバックに、10月19日、キーツとファニーは手をつないで木の葉が落ちて幹だけとなった森の中を歩いている。その後ろから付いてきて様子を窺っているのが妹とサム(1枚目の写真、ここでも差別が良く分かる。妹の顔ははっきり分かるが、サムはぼやけている)。その直後、キーツは婚約指輪をファニーの左薬指にはめる。『Keats』(Andrew Motion著)によれば、10月18日にロンドンでディルク夫人と会い、ブラウンの家に戻ることを伝えて欲しいと頼むが、翌日〔the following day〕には、ファニー本人に、婚約を申し出て、恐らくガーネットの指輪を渡し、そのことは秘密にしようと言い、ファニーは指輪をはめないことを認めたとしている(右の写真は、婚約指輪)。その後、家に戻ったファニーは、母から、キーツが隣に戻りたがっているという話を聞かされる〔上記の、ディルク夫人からの伝言〕。その時、手にはめていた指輪が見つかる。その時は、予め左中指に移しておいたので、婚約指輪ではないと主張できた〔キーツとの約束違反?〕。それでも、母は、指輪を外すよう主張する。収入のない男性と結婚するなど、もっての他と考えるのが19世紀初頭のイギリスの常識だったから。その後、キーツがブラウンと一緒にいる所にファニーが入って行くシーンがある。それは、時間軸としては、キーツが戻ってきてからの話となる。ブラウンは2人の婚約を聞かされていたのか、ファニーの姿を見ると、遠慮して居間を出て行く。2人は、ソファに座ってキスし合い、キーツが、『輝く星(Bright Star)』の後半の一部を詠む。「新しい詩ね。題名は?」。キーツは、ファニーの顔を見つめて「Bright Star」と言う(2枚目の写真)。そして、詩の最初の2行を口ずさむ。映画の字幕を借りれば、「輝く星よ。その誠実なきらめきは、夜空に高く 孤独を知らぬ」。
  
  

1820年1月末2月3日
映画は、10月から翌1820年1月末に飛ぶ。ブラウンと女中のアビゲイルが変に仲がいい。窓の外は一面の雪。ファニーは、キーツがコートも着ずにロンドンに出かけたことを心配している。このロンドン行きは、映画では触れられていないが、2歳年下でアメリカに移住していた弟のジョージが金策にロンドンに来たことと関係があるのであろう。キーツは2月3日ロンドンから帰って来る。お金がなかったので、馬車の、屋根上の安い席に座っていたため、雷雨でずぶ濡れになってしまう。夜、家に着いたキーツは大量の喀血をする。肺結核の悪化だ。ブラウンが仕切り、慌しくアビゲイルに洗面器や水を用意させる。医者が帰り、ブローン一家の4人とブラウンだけが台所に残る。そこで、ブラウンは、如何にキーツが危険な状態にあるかを強く訴える(1・2枚目の写真)。
  
  

1820年2月
室内で静養するキーツ。窓の外は、雪もなく、光が溢れている。キーツが、外にいるファニーたち3人を見ている。バックには、1820年2月付けと推定されている手紙の言葉が流れる。ブラウンとキーツの夜の居間のシーンのバックは、3月付けの手紙の言葉。これらの「手紙」は、他所から出したものではなく、直接の会話が制限された中で、キーツが隣に書き送った一種のメモ。だから、それまでの手紙と違い消印がないため、日付不明のものが多い〔キーツが2月に書いたとされる手紙は9通、3月は5通ある〕。2月のある日、ファニーは、公園でキーツからの手紙2月付けを読んでいる。それをサミュエルが見ている(1・2枚目の写真)。公園のシーンに続き、家に戻ったファニーがキーツに会いに行き、手紙の最後に書かれた「私のことを忘れてくれとは言えない。しかし、この世には不可能などないのだ」の、「不可能」の意味を質問する。そして、キーツが、回復は不可能と悲観するのに対し、キーツが1819年の5月に作った『美しいけれど無慈悲な乙女(La Belle Dame Sans Merci)』を朗読して聞かせ、憂鬱な気分を晴らそうとする。最後は、2人でこの詩を交互に暗唱するが、愛に満ちた詩なので、一層物悲しい。その後、アビゲイルがブラウンのことを、「世界一 残酷で冷酷」と責めるシーンがあり、この時点で彼女が身ごもっていたことが分かる。
  
  

1820年5月初め
ブラウンの家で、友人たちが集まっている。キーツの病状からして、イギリスで冬は越せないので何とかしようという相談だ。旅費が一番の問題だが、評論家で詩人のリー・ハント(Leigh Hunt)が、「資金を集められないかな?」と提案する(1枚目の写真)。付き添いを誰にするかについて、最初に候補に上がったのは、当然、同居していたブラウン。しかし、ブラウンは、アビゲイルのこともありパスする(アビゲイルのお腹が大きくなっている)。リー・ハントは、さらに、「夏の間、いる部屋を探すの手伝うよ」とキーツに話かける〔ブラウンは、夏はいつも家を貸し出す/この会合を5月初めとしたのは、5月4日付けで妹に出したキーツの手紙に、ブラウンが戻るまでケンティッシュ・タウン(Kentish Town)に引っ越す旨のことが書かれているため〕
  

1820年6~7月
キーツが、ファニーとサミュエルを連れて、ケンティッシュ・タウンの仮宿に向かっている。そこは、ロンドン市街地の貧民街。まさに『オリバー・ツイスト』(1837~39年連載)の世界だ(1・2枚目の写真)。このような路地の先にまともな部屋があるはずがない。そこは、結核患者〔もちろん、結核と診断された訳ではない/コッホによる結核菌の発見は1882年〕が住むには全く不適切な場所だった。この訪問時期がいつなのかは全く分からない。ただ、映画の中で、キーツがブラウンの家を出て行って5週間という言葉があるので、5月4日から5週間は6月10日なので、それ以降ということになる。キーツの部屋を見て帰宅したファニーには、食欲がない。ディナーにも部屋に籠って出てこなかった(3枚目の写真、一緒にいるのはディルク夫妻と子供)。
  
  
  

1820年8月12日
資料によると、8月12日の数日前、ファニーからの手紙がロンドンに届けられたが、ハント夫人が手紙を渡すよう言付けた女中が自分の息子にそれを託したところ、キーツに届いた時には封印が破れていた。激怒したキーツは、すぐにウェントワース・プレイスに向かったが、着いた時には錯乱状態だったとある。この最後の部分を描いたのが、映画の次の部分。トゥーツが庭の刈り込みの陰に倒れているキーツを発見する。一家総出でキーツを家に運び込み(1枚目の写真)、さらに、2階に上げる(2枚目の写真)。母は、今晩だけと言うが、ファニーはイタリアに発つまで置いてくれて頼む。婚約者でもないのに、という母に、ファニーは婚約させてくれと頼む。一文無しで、生計を立てる見込みがなく、死の病にあるキーツとの婚約を認めたのは、ファニーの母が心根の優しい人だったからとされている。しかし、実際には、キーツは映画のように安静を必要とする状態でなかった。だから、すぐにロンドンへと戻る。実は、この訪問の数日の8月8日に、キーツからファニーへの最後の手紙が出されていた(http://theamericanreader.com/8-august-1820-john-keats-to-fanny-brawne/)。逆に、最後の手紙がこんなにも早い時期に出されたことに驚かされる。キーツは、9月にローマに転地療養に出かけてから、翌年2月に死ぬまで、一度もファニーに手紙を書かなかったのだ。
  
  

1820年8月(映画のみ)
この先の2つのシーンは、映画のみの演出。実際にはなかった光景だ。キーツとファニーが野原に座り、ブローン夫人とサミュエルが踊るのを嬉しそうに見ている(1枚目の写真)。その後で、キーツとファニーがゆっくりと踊り、それをサミュエルが見ている(2枚目の写真)。キーツがもっとブローン家に滞在していたら、こうした光景が見られたことであろう。
  
  

1820年8月(映画のみ)/9月17日
次のシーンでは、キーツがお別れにと、全員に『聖アグネス祭前夜(The Eve of St. Agnes)』を贈っている(1・2枚目の写真)。資料には、時期は不明だが、キーツとファニーが贈り物を交換したとある。ファニーが贈ったものは、絹のナイトキャップと、裁縫で熱っぽくなった手を冷やすためにいつも使っていた卵形の大理石。キーツが熱を出した時に、手を冷やすためだ。出発の直前の9月12日、キーツに同行して介抱する人間が、若い画家のジョゼフ・セヴァン(Joseph Severn)に決まる。Academy Gold Medalをもらったことで、旅費と滞在費を工面することができたからだ。そして、キーツは、1820年9月17日ロンドンを出て、ナポリに向かう。
  
  

1820年11月11日
ブラウンがアビゲイルと産まれたばかりの赤ん坊を連れてブローン家を訪れる(1・2枚目の写真)。ブラウンは、ファニーに、キーツがナポリに着き、船が検疫を受けたと近況を伝える。資料によれば、ブラウンがブロース夫人宛のキーツの手紙を持ってウェントワース・プレイスに戻ったのが11月11日とあるので、赤ん坊の有無は別として、このシーンは11月11日だと確定できる。映画では、ファニーから、なぜ一緒にローマに行ってくれなかったと責められたブラウンは、「私はキーツを見捨てた〔I failed John Keats〕」と何度もくり返す。きっと、忸怩(じくじ)たるものがあったのであろう。別な日、1通の手紙が届く。それは、ローマからキーツが出した手紙だった〔実際には、既に述べた8月8日付けの手紙が最後→あり得ない→だから、内容は紹介されない〕
  
  

1821年3月17日
雪が少し積もった町中の道を歩いて、ブラウンが家に向かっている。一方、ブローン家では、サミュエルがバイオリンを弾いている(1枚目の写真)。すると、そこにブラウンが入ってくる(2枚目の写真)。「ブローンさん、あなた方にとって耐え難いことだと承知していますが、キーツが亡くなりました」。キーツが死亡したのは、2月23日金曜日だった。ファニーは泣き伏す。呼ばれた母と抱き合う2人。恐らく、次の日、喪服に着替えたファニーは、髪を少し短くし〔実話〕、雪の野原に出て行く。そして、『輝く星(Bright Star)』の全文を歩きながら暗唱し、映画は終る。
  
  
  
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